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成 都
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【都市概要】
四川省の中部に位置し、四川省の省都であり、中国西南地方の政治・経済の中心地となっている。
人口は約1,000万人 。
紀元前四世紀、蜀の王が都をここに移して、「一年成邑、二年成都」と提出したことにより、この名を得た。
三国時代に劉備・関羽・ 張飛が活躍する中国4大奇書のうちのひとつ《三国演義》ゆかりの地でもあります。2,300年あまりの間、「天府の国」と呼ばれ栄えてきた。
亜熱帯季風気候に属する。年間平均気温は16℃、年降水量は1000mm。
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気温と雨量
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7月
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8月
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9月
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10月
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11月
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12月
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最高気温℃
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9.3
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11.1
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15.9
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21.7
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25.9
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27.9
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29.5
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29.7
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25.3
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20.3
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15.7
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10.7
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最低気温℃
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2.5
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4.5
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8.1
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12.9
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17.2
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20.4
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22.0
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21.6
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18.6
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14.5
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9.4
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4.4
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雨量mm
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8
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11
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21
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47
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87
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105
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231
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224
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135
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40
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17
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5
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よく使われる電話番号
市外局番: 028
成都駅: 333-2633
航空券売り場: 666-5911
成都市郵便局: 662-4730
成都国際空港 : 570-2836
旅行苦情の申出: 662-2065
成都第一人民医院: 666-7223
中国銀行成都市分行: 664-7106
※利用時にご確認下さい

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◆武候祠
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成都市街の南西部に位置する武候祠は、三国時代の蜀の王、劉備玄徳と丞相諸葛孔明を祭る廟である。
西晋時代末期の760年に別の場所に建立された諸葛孔明を祭る祠堂を、明代に現在の場所である劉備玄徳の墓、昭烈廟の隣へ移し、君主と臣下を共に祭る「君臣合廟」としたもの。 約37,000平方mの敷地に現存する建物は、清代の康煕11年(1672年)に再建されたもの。武候祠の名は、諸葛孔明の死後のおくり名、忠武候から取られている。昭烈とは劉備玄徳のおくり名である。本来は「漢昭烈廟」が正式名称であるが、人々は諸葛孔明を深く慕い今日でもここを「武候祠」と呼んでいる。三国志に興味のある人は、必見の場所である。
大門を入り右側には、唐代の書家、柳公綽の書による三絶碑の碑石が立っている。三絶とは文章、書法、石刻の全てが優れているという意味。
第2門を入ると両側には蜀の文武官28人の塑像が並んでいる。正面には劉備殿があり、金泥の劉備像が関羽と張飛の像を従えて安置されている。殿内には、孔明の政治・軍事戦略思想として有名な「隆中対」の額が掛けられている。その奥の諸葛孔明殿には孔明像が安置され、殿の壁には彼の文や業績を讃える額や対聯(対句になっている詩)が掛けられている。孔明像の前にある諸葛鼓は、孔明が南征中に作ったもので、昼はそれで飯を炊き、夜にはそれを叩いて警報を発したという。
武候祠の西側にある高さ12mの恵陵は、劉備玄徳の墓所と伝えられている。
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◆杜甫草堂
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成都市の西郊外、浣花渓のほとりにある杜甫草堂は、李白と並ぶ唐代の詩聖、杜甫の旧居である。もともとは梵安寺という寺だったが、759年、48才の時に杜甫が移り住んだ。数年間の居住の間、彼の生涯の全作品の6分の1以上を占める240首もの詩を詠んでいる。彼は成都西部に草堂を建て、検校工部外郎という仕事の傍ら、イモやアワや薬草を育てながら平穏な生活を送っていた。その後は放浪の旅へ出て、59才で没していた。
宋代に居住跡に祠堂が建立され、以後、明と清の時代に13回もの修復がなされ、現在の規模になったのは、清の嘉慶16年(1811年)の拡張工場からと言われている。正面の詩史堂には、杜甫の像があり、両脇の陳列室に各国語に訳された詩集や彼の足跡を示す資料、研究書などが展示されている。
草堂の周囲には、「花径」という花の小道があり、梅園や蓮池の点在する中に渓流が走る美しい庭園になっている。時間に余裕があるならば、庭園内の盆景園や蘭草園にも立ち寄ってみたい。約20万平方mの広さがあり、弁当などを持参して訪れる人も多い。
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◆都江堰◆
成都の北西60Km、岷江上流の潅県にある都江堰は、2,200年以上前の水利施設である。戦国末期の紀元前306年から紀元前251年にかけて、当時の蜀郡の太守(地方長官)李冰とその息子二郎の指揮により、氾濫をくり返す岷江を鎮めるために造られた堰で、都江堰によって分流された岷江は2200年を経た今でも洪水対策と灌漑の機能を果たしている。(潅漑面積は53万ha以上に及ぶ。)
この都江堰は、流れを3つに分ける潅漑用の「魚嘴」、水量を調節し川に土砂が流れ込むのを防ぐ「飛沙堰」、山を切り開いて造った取水口の「宝瓶口」から成る。司馬遷の「史記」の中でも、都江堰について書かれた箇所がある。
下流に架けられた安瀾橋は、古く宋代以前からあったとされる全長500mのつり橋。幅2mほどのこの橋は、地元の何先徳夫妻が先導して建てたものとされるが、現在の姿になったのは1974年以降である。安瀾橋を渡った東側にある二王廟は、南北朝時代の紀元494年に建てられたもので、李冰親子が祭られている。
現存の建物は清代の建築物。宝瓶口を見下ろす離堆公園内にある道教の廟、伏龍観には李冰像と高さ約3mの頭部の無い石像が安置されている。この石像は、1974年に都江堰の流れを一時的にせき止めた際に川底から発見されたもので、後漢の建寧元年(168年)に造られたと印されている。四川省での李冰親子への信仰を知る上での貴重な資料とされている。
《2000年世界文化遺産登録》
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◆青城山◆
都江堰の南西約15kmのところにある標高1,600mの道教と仏教の名山で道教発祥の地のひとつといわれる。道教寺院のある前山と仏教寺院のある後山に分かれ前山には道教の始祖張道陵を祭る天師洞がある。
《2000年世界文化遺産登録》
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◆文殊院
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南北朝時代(420-589年)に創建された文殊院は、成都市内北部、府河の南側に位置する仏教寺院で、四川省の仏教の中心である。宋代までは信相寺と呼ばれていたが、明代に戦火で焼失、清朝の1761年に再建された際に文殊院と改称された。
もともと四川省は仏教が盛んだったが、文化大革命時に成都市内の仏教施設はほとんど破壊され、現存するのは文殊院だけとなった。入ってすぐ目につく布袋像は弥勒菩薩像。布袋は弥勒菩薩の化身と言われ、中国の寺ではどこでも見られる。
約54,000平方mの敷地内には、木材と石材を使った重厚な造りの天王殿や三大士殿、蔵経楼など五大殿が建ち、精巧な透かし彫りの飾り窓が付いている。蔵経楼に収蔵されている経典の経筒には、天平時代に日本から贈られた経櫃や、玄奘三蔵の頭蓋骨を収めたといわれる玉の小箱などがある。
お昼に訪れると、肉料理や魚料理そっくりに野菜で作られた中国の精進料理が食べられる。
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◆王建墓◆
五代十国の戦乱の時代に、前蜀の王であった王建の墓は、成都市内の北西部に位置する。王建は一介の商人であったが、軍に入り唐朝の衰退期に乗じて前蜀の国を興した人物で、当時は特に民衆からの信頼が厚かったと言われている。前蜀王朝は、わずか2代35年しか続かなかったが、王建墓は1961年に全国重要文化財に指定された。高さ約15m、直径約80mの円墳墓内は、前室、中室、後室に分かれている。棺のある中室の三方の壁には、琵琶や笙、琴などを演奏する22人の宮廷楽隊像と、12人の力士の半身像がある。微妙に表情の異なる楽隊の像は唐代、五代時代の舞踊や音楽の研究にとって重要な資料である。
また、墓室の前には約3mほどの石像が守神として立っている。
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◆九寨溝◆
成都から約460キロ北に九寨溝の自然保護区があり、゛童話世界゛、゛人間仙境゛と呼ばれる。
九寨溝は途中で二本の谷に分かれており、入り口側が樹正溝、右が日則溝、左が則四査窪溝。ちなみに溝とは中国語で谷のこと九寨溝と呼ばれているのは、この渓谷に九つの集寨があるためだ。ここには水によって創られる、すべての自然美があるといっても言い過ぎではない。
1970年代初頭まで地元の人にしか知られていなかったいわば秘境でしたが、木材の伐採が始まり1978年から自然保護区に指定され、1992年に世界自然遺産に指定された原始の自然がそのまま残る青緑山水の幻想的な景観が楽しめます。
◆黄 龍◆
黄龍は1992年に九寨溝とともに世界自然遺産に指定された石灰質が固まってできた石灰華の段丘に棚田状の池がいくつも連なる迎賓彩池など200を超える大小の池が不思議な景観を作り出している。
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◆峨眉山◆
中国仏教四大名山のひとつに数えられ、ふもとの報国寺を始め、虎を鎮めるための経文が彫られた伏虎寺、国宝の普賢菩薩像が収められた万年寺など、仏教が中国に伝来して以来最盛期には200近くの寺が建立された。
中国仏教のメッカとも言うべきところ。その山頂の金頂から眺める荘厳な景色は神々しささえ感じる。
《1996年世界文化遺産登録》
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◆楽山大仏◆
楽山大仏は、長江の支流岷江の東岸凌雲山を背に鎮座する。その大きさは、顔だけでも長さ15m、耳の長さ7m、全高70.7mと世界最大の石仏古くは凌雲大仏と呼ばれ治水と航行の安全を祈願して約90年を費やして建立された。
《1996年世界文化遺産登録》
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