中国宗教文化

中国の仏教

   仏教は後漢(紀元25−22)の初め頃、西域から中国の漢民族地方に伝わったとされ、大乗仏教と小乗仏教の経典や注訳書が無秩序に翻訳された。そして、仏教思想を老荘思想と比較して研究する方法「格議」が行われた。5世紀の初め、中央アジアから鳩摩羅什が伝来し、大小両乗の仏教研究の学問的方法を明らかにした。ことに中間派紹介をした功績が大きい。それ以来、南北朝にかけて、次々と伝えられてきた経論の翻訳と研究が行われ、毘曇、三論、成実、法華、涅槃、地論、摂論などの学派が起こった。隋唐の時代に入ると、中国仏教独自の性格が作られる形成期を迎え、教相判釈により宗派が生じた。天台宗、三論宗、三階宗、浄土宗、法相宗、華厳宗、律宗、禅宗、ならびに密教などがそれである。宋代以後は各宗の教義を祖述・継承する時代に入るが。民間に特に根を下ろしたのは禅宗と念仏の教えであった。中国仏教はさらりに中国文化圏の国国、例えば、ベトナム、朝鮮に伝えられ、日本も中国文化の輸入と並行して伝教を受容したのである。

  現在の中国の仏教は中国仏教協会の下にまとめられ、「人間仏教」の構想を推し進めている。仏教の教義では「人間の浄土を作る」主張、「国家の恩に報い、恩に報い、衆生を済度する」願い、「衆生に遍く福徳を与える」思想が説かれる。

 


道教思想


  道教は中国の民族的宗教である。道教と言う語は後漢末期にすでに現れ、中国歴代の封建支配の精神的支柱の一つであった。五斗米道の創立者張道陵を創立者とし、先秦の道家老子を教祖と最高天神とする。老子の「道」を神秘化し、これを根本的信仰としたうえ同時に中国古代社会の呪術や祈祷術を受け継ぎ「附録」という道家の秘文を使えば「鬼神を招き、厄を払い道を得て「仙」に成り得る 」と唱えている。

  「道」とは『老子道徳経』で強調される『道』がもとだと考えられる。道の初期には後漢末の「太平道」と「五斗米道」があったが、晋代以後、道教では度かさなる変革が行われ、儒教の「名教鋼常」や仏教の輪回の説を吸収して「玉皇上帝、閻羅天子」及び城隍、土地といった系統や「欲を捨て静を守る」の体系を打ち立てた。道教の経書は数が多く、種類も複雑であるが、主には明代の5485巻を収集した『道蔵』、経書として『道徳経』『正一経』『清静経』「玉皇経』などがある。道教は流伐が多く、元代以後は南北天師道と上清、浄明、霊宝の諸派が合流して成立した『正一経』と、金代の道士王重陽が創立し、後に竜門、崋山など7派に分かれた「全真道」の二代教派に移り変わった。そのうち、「正一道」は「神を招き妖怪を駆除し、福を祈り厄を払う」と唱えるが、道士は結婚することが許され、「火居道士」と呼ばれる。「全真道」は仏教と儒教の思想も吸み入れてできたもので、「丹薬を練って仙人の術を修める」ことを唱え、「結婚せず、肉や魚を食わない」の戒律と仏教に類似した叢林制度がある。明代から道教は衰えを見せ始めた。

  道教の最高の教祖と最高天神と尊ばれる老子の『道徳経』は道教の主要な経典であり、その中の『谷神、死せず』、『長生きして久しく視る』などの内容は宗教的に解釈され、唯心的『道』も『宇宙の主宰』にまで神化され、道教のもう一つの経典『清静経』では『心無其心』『形無其形』『物無其物』『無無也無』と宗教唯心が主張され、現実を逃げれて『外欲の牽擾』を受けるなと説かれている。

  道教では中国古代の方術(天文、暦法、神仙術、占い、遁甲、勘與等が受け継がれ、宗教的修練法にされた。丹薬を練るとは丹砂などの鉱物性薬物を炉に入れて焼き、練ることであり、出来た化合物は『金丹』と呼ばれるが、この古代の練丹法を受け継いだ方士(方術精通する人)や道教徒の間では「金丹」に「不腐之質」があり、飲めば「成仙」できると信じられていた。さらに道教ではこの「練丹」術の意味を引き伸ばし、人体も炉のようなもので体内においても、「精、気、神」を練り得、したがって「仙人」に成り得ると考えられている。このような修練法ヲ「内丹」と呼ぶのに対し、鉱物性薬物を練るのを「外丹」という。仙人になるための修練法の一つに「辟谷」(断谷、絶谷、却谷とも)というのがある。それはすわち「五谷(稲、黍、稜、麦、菽)を食わないということである。道教では人体に「三屍」(三彭、三虫とも)と言う邪怪が宿っており、五谷で生きて人体に害を与える故、「辟谷)の修練を経て「三屍」を駆除し、「長生不死」の境界に達しえると信じられている。

  いろいろな修練を経て「道」を得て「仙人」の境界に達したものは「真人」と言う名譽をいただく。唐の玄宗皇帝は道教を熱心に育てた一人で、荘周を「南華真人」に封じ、元の世祖も、仏教に倣って「叢林制度」を取り入れた丘処机に「長春真人」と言う称号を与えたと言うことである。死者に対して道教では施食「追薦」「超度」が行われ、これによって生前の罪が償われ、いち早く「天界」に昇り、「鬼道」を脱するのである。

  なお、道士には「羽士」の別称が付いている。「羽」鳥の翼のことで、飛び上がると言う意が含まれる。中国古代神話で仙人を「羽人」と呼んだことから神仙思想を信仰し、修道者は「仙になり、昇天出来る」と鼓吹する道教でも道士は「羽士」、その服は「羽衣」と呼ばれることになったわけである。

  神仙思想が中心の道教で神話中の数多く奉じられている。神仙世界の「皇帝」玉皇、女神の西王母、唐代から伝わる「八仙人」の話の人物なども奉じ対象となっている。基本的傾向としては不老長寿あるいは登仙、治病その他さまざまな現世利益が中心になっており、中国従来の民間信仰や呪術、神仙思想、陰陽思想などに仏教の礼儀や経典ないしは思想がさまさまな度合いにおいて結合去れて、教説や礼儀や実習ができている。道教の経典は仏教の大蔵経似模して「道蔵」として集成されている


儒教思想

   

   儒教は中国古代の偉大な思想家、教育家孔子によって打ち立てられた中国固有の論理観であり、「身を修め、家を斉絵、国を治め、天下を平らにする」ことを主目的とする。漢代から清代まで二千年間、国教として奉じられていた。儒教の論理は漢字文化圏の朝鮮や日本の諸国にも大きく影響を及ばした。この教えを奉ずる学派を他の学派に対して「儒家」、この教養の学問を「儒学」、この教えの経典に関する研究を「経学」と歴代ににわたって呼んできた。

  春秋戦国時代の動乱期を自ら体験した孔子は、身を修め、世を救う理想を「仁」の一字に要約した。彼の唱える「仁」とは人を愛することに他ならないが、キリスト教の「博愛」や仏教の「慈悲」のような対象を考えない無差別の愛ではない。「仁」とは親兄弟に対する愛、即ち孝悌を中心年、これを遠心的に他人に及ぼすことにより、家が整い、ひいては天下が治まるものという。法律と策略による政治に変わって道徳と礼儀による政治を、権力による強制に変わって支配者自身の道徳性による感化を、というのが儒教一般主張である。孔子は祖先の霊や天に対して敬意を払ってはいるが彼の関心はあくまで人間世界にあり、死者の祭りなども生者の孝行心を呼び起こす手段として重んじる傾向がある。孔子以前論理が占いなどにょって神意を問うことを要求したのに対して、孔子は初めて、人間の論理の確立のために神の世界を考慮の外に置こうとした。その意味では儒教は「教」ではあるものの、完全に「教」としてなり切れないところがある。孔子にとって理想的人間像は文学と音楽の教養を備え、礼儀による自己抑制の能力を持つ「君子」であり、学問的技術はむしろ軽蔑される。後の孟子は孔子の思想をまとめ、これを体系化し、人間性を「善」と規定し、有徳者による政治の理想を推し進め、悪い支配者を暴力によって打倒してよいとまで言い切る。孟子より半世紀ほど後に出た荀子は性悪説を説く点で異端者であるが、階級社会の原理として礼儀を強調し、その実施者として君主尊ぶ点で儒教を国家権力に近づける効果があった。

  漢代まで儒教は各分野で影響力があったものの必ずしも思想界の主導権を握ったわけではない。それが漢の武帝の時、董仲舒らの勧めで、儒教は他の学派をおさえて国家の指導原理になり、以後は政治や道徳の原則はすべて「五経」から導き出され、ついに儒教の教養は官吏採用の条件にもなった。その理由として次の三点が挙げられよう。

一、  階層のある社会を天地の構造に比較して当然と見、天子は天に命じられて天下を治めるものという考え方が支配者に有
  利な哲学として歓迎された。ただし、この天子の観念は同時に支配者に自省を求める原理にもなる。

二、 孝悌の奨励は家ひいては村の自治をもたらし、膨大な国土の末端まで、治安が保てる。

三、 有徳者による政治の理念から導き出された官吏登用制度は庶民階層の不満をそらせ、支配層の新陳代謝を促す効果が
   ある。

  「五経」の論理の確立に伴い、以後の儒学は経典の字句の読み方の研究、いわゆる訓詁学に変わり、哲学的な問題意識を欠いたため、後の六朝、唐になると老荘思想や仏教が人々の心をとらえるようになったのである。

   宋代になると朱子による朱子学が生まれ、儒教に宇宙論、人生論の深みを加えた。朱子学では大宇宙の中の調和法則(理)がそのまま人間や万物の中にも潜むと見て、この「理」の発見を道徳実践の究極目標とする。人間の中「理」は純粋理性とも言うべきもので、性善説の根拠ともなる。ただ人間には理性の外、欲望もあり、これの偏りが悪を生む、だから出来るだけ、欲望を節せよと言う厳しい論理になる。朱子は儒教の真髄は「四書」の中にあるとし、その注をつくった。元代以後、朱子学の厳格な論理説は長く中国の普通的な論理説となった。明朝の王陽明は朱子が外界の事物について、「理」はわが心に備わっていると見て、自分の心を明らかにすれば、足りると言う。これには禅宗の影響が大きく、陽明学の末流は空疎な観念論にながれた。

   清代に入ると、明末の陽明学の弊荷反発して、顧炎武、黄宗儀らが経典の文字についての精密な研究により、古人の真意に帰ろうと唱えた。その後古典の言語学的研究いわゆる考証学が起きた。中国で初めての科学的方法をもった文献学的研究の発端になるわけではあるが、儒教本来の「身を修める、天下を治める」という理想から離脱した観がある。一方、今文学派その対象の性質から必然的に政治的意識が強く、康有為を代表とする革命思想に発展する。辛亥革命後、中国が近代化を目指して苦悶するようになり、天子を頂点とする階級性社会を自明のものとする儒教の政治哲学、古い家の秩序を保つことを第一とする儒教の人倫道徳は近代化を阻む封建主義の元凶になり、進歩的知識人階層から激しく攻撃された。康有為葉「孔教会」を作って儒教の復活を図るが効果がなかった。ことに1905年に古くからの官吏登用試験制度である科挙が廃止され、この制度と密接に結びついていた儒教の権威は完全に剥奪されることになってしまった。


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